聖書の視点 | 和合キリスト教会

聖書の視点

あなたの価値

「あなたは高価で尊い。」

聖書                                                       

 

このみことばを、あなたに差し上げたいと思います。創造主(神様)からみれば、あなたの存在はこのように見えている、と聖書は教えます。

創造主は、この気持ちが、あなたに伝わることを願っておられます。あなたを愛しておられます。

この思いがあなたに届くために、十字架があるんですね。

教会に十字架が掲げられているのは、この理由からなんですね。
誰でも救われます。もちろん、あなたも救われます。


イエス・キリスト(救い主=子なる神様)を信じて救われます。あなたは、創造主に愛されているからです。もし人との比較の中で、そういう周りからの価値観の中で、自分なんかダメだ、できない人間だ、などと思わないでください。誰が何と言おうと、あなたは高価で尊いのです。


あなたを造られた創造主が、そのようにおっしゃっているのですから。あなたの、ほんの少しの一面だけを見て、あなたを否定する声に、騙されないでほしいと思います。あなたに注がれている、人の想像をはるかに超えた、本当の愛のまなざしが あることを、忘れないでほしいと思います。 

 

十字架は神(創造主)とあなたの間にある、溝(聖なる神の前に罪あるものであるということ)を取り除き、神との平和を、あなたにもたらします。

神が下さる平安

聖書はあなたをお造りになり、愛し、生かしておられる創造主からのメッセージです。

この方は言われます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげよう。」聖書

あなたは消耗していませんか?

変化と情報量の多い社会、その中で複雑化する人間関係、この国の中で、多くの人は大人も子供も、心底疲れているのではないでしょうか?

それでも、止まらない生活、止められない生活、その先に何があるのでしょうか?

聖書は、私たちの心を、私たちの、創造主なる御方に目を向けるとき、あなたが今まで、想像もしたこともない平安が、用意されていると語っています。

罪は心を暗くする

神様の恵みは、計り知れないものです。私たちは当たりのように受けていますが、水も空気も太陽も、すべて創造主の贈り物です。また、私たちの命も創造主からの贈り物です。聖書は進化論ではありません。人は偶然の産物ではありません。デザインされたものにはデザイナーがいるのです。人のデザイナーは創造主である神様です。

生まれながらの人は創造主がわかりません。聖書は最初の人アダムによって罪が入ったため、それまで見えていた、創造主が見えなくなったと教えています。

罪は脈々と子々孫々と伝わっています。ですから、生まれながらの人は聖い創造主がわからないのです。

厳しい言葉かもしれませんが聖書は「罪から来る報酬は死である。」と教えています。

自力で救われようがない人類のために救いを備えてくださった。それが、創造主の恵みです。そしてそれが、イエスキリストの十字架です。

受ける資格のない者のために、創造主の命を差し出して、代わりに罰を引き受けてくださった。創造主の愛です。そして恵みです。

天に根差す

天に根差す生き方。こういう生き方があることを、イメージされたことがあるでしょか?                      


この生き方は、浮世離れした、厭世的な生き方ではありません。  


神がおられることを知り、神に愛されていることを知り、イエスキリストを信じて神(創造主)とのあいだに平和をいただき、神に愛されている存在として造られたあなたが、神を愛することが出来るようになり、自分も愛することが出来るようになり、少しずつでも、人を愛することができるようになっていく生き方です。         

ですから、クリスチャンの天に根差す生き方は、本当の意味で、地に根差す生き方になっていくのですね。             


「私たちの国籍は天にあります。」聖書

自我の闇

「高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。」聖書


世の中を暗くしているものは何か?


その一つの側面は、何かできない人ではなく、というよりも、できる人が暗くしているのではないでしょうか?


正確に言えば、自分、自分と生きるあり方です。


与えられた能力を、ただ、自分の世界のためだけのみに使うとしか想像できないマインドが、世の中を暗くしているように思います。  


人の心に嫌な思い、暗いガスを吹き込んでいるように思います。


日常のほんの些細な出来事の中にさえ、そのような自己中心はあり、人の心を暗くしています。

今・金・自分?

ある人が、現代の日本の世相を表す3つの言葉は、「今」「自分」「金」だと語っていました。

 

そうなのかな。そういう人ばかりではないと思うけど、そうなのだろうなと思いました。

 

聖書のメッセージは、これとはある意味、真逆です。聖書は人は「永遠」「他人」「神」をキーワードに生きる存在であると語っています。もちろん、私たちは、今を生きているし、自分に生きているし自分は大切です。金がないと暮らしていけません。

 

ただ、私たちは創造主に造られ、生かされていると教える聖書は、「今」「自分」「金」は手段であって、目的ではないということを語っているのです。

 

「今」を使って「永遠」のために生きる、「自分」を使って「他人」のために生きる、「金」を使って「神」のために生きるのです。これが人の本分であると教えています。

 

でも、信仰を持たない方がこれを読まれたら、不思議でついていけないと思われるでしょうね。

 

当たり前のことだと思います。キリスト者もイエスキリストに出会い、「信じる」という、ある意味不思議に導かれなければ、心に浮かびもしない心境ですから。

 

ただ、このような心持を、心から感謝を持って生きる人生があるということだけでも、覚えていただけたら感謝です。

 

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」聖書

イエスが生まれた理由

義人はいない。ひとりもいない。」聖書

 

人間は人間を救うことはできません。

 

なぜなら、すべての人間は罪びとであるからです。

 

人生すべてが聖い人間はいるでしょうか?

 

いません。

 

残念ながら、歴史上のどの人物も人を救うことはできないのです。

 

聖書の福音は宗教ではありません。

 

人間を造られた神との関係性です。

 

人間がもともと造られたあり方に戻る道、これが福音です。

 

ただ、人の努力、修行、善行にまい進しても、完全に聖い存在には到底なれません。救われないということです。

 

そこで神は完全に聖いお方イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。

 

そして、見えない神を、見える形に示し、神の愛を表されました。

 

私たちが今、聖書を読み、イエスの記事を読む事によって、見えない神にお会いすることが出来ます。

 

神は全知全能です。「神に不可能なことは一つもありません。」聖書

 

主イエスは愛ゆえに全人類の罪を背負い十字架にかかってくださいました。

 

それは、私たちの罪を完全に取り除くための身代わりの死でした。

 

十字架の業を完了された主イエスは、三日目に復活され今も生きておられます。

 

そして、主イエスを信じる者すべてに聖霊なる神を注いで神の子として歩む力を注いでくださっています。

 

神は人間にはできないことをしてくださったんですね。

 

下からではなく、上からの救いです。

 

うごめく人間に神は救いの手、イエスキリストの十字架を差しのべてくださったのです。

 

神は実にそのひとり子をお与えくださったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」聖書

聖書はラブレター

聖書は、森羅万象を創造された神様からあなたへのラブレターです。

 

創造主である神はあなたを造られたお方です。

 

ですから、あなたのことをなにもかもご存知です。

 

あなたの心の痛み、傷、悲しみ、苦しみ、不安、弱さ、そして、あなたの希望、夢、喜び、力、あなたの悪いところ、良いところ、すべてをお知りになっておられます。

 

そのうえで、あなたを愛しておられます。

 

なにが出来ても出来なくても、持っていてもいなくても、大きくても小さくても、神は、あなたがあなたというでけで永遠の愛をもって愛してくださっています。

 

この愛の証拠が聖書には書いてあります。

 

イエス・キリストの十字架がその証拠です。

 

あなたの罪のために、父なる神はひとり子である子なる神イエス・キリストをこの世界にお送りくださいました。

 

イエスはあなたの罪を背負ってくださいました。

 

罪とは聖なる神のまえに清算されなくてはいけないものすべてのことです。あなたのあの嘘も、あの偽りも、あの思いも、あの欺きもすべて清算されなくてはならない罪です。

 

愛ゆえにイエスはあなたの罪を背負って、神の前に、身代りに死んでくださいました。あなたの代わりに神の罰を負ってくださったのですね。

 

それが十字架です。

 

しかし、イエスはよみがえり天において今も生きておられます。死を打ち破られました。

 

イエス・キリストがあなたの罪を父なる神の御前に支払ってくださった。愛によって。

父なる神はあなたの罪の代価が支払われたので、あなたを赦すことができるのですね。イエスの十字架のゆえに赦せるのですね。これも神の愛です。

 

この愛をあなたが受け取るためにすることは信じることです。

 

イエスの十字架は私の罪のためであったと信じるなら、あなたの罪の代価はイエスによって支払われ、神の前にすべての罪が赦されます。

 

イエスの十字架の豊かさは計り知れないものです。支払うことのできない罪はありません。ということは、神の前に赦されない罪はありません。

 

あなたが十字架を信じるなら、あなたの罪は赦され、神の愛が、聖霊なる神があなたの心に遣わされることで注がれます。

 

あなたは新しい神の力を心に帯びる人に生まれ変わります。

 

これが聖書の語る救いです。

 

神の恵み、憐み、愛です。

 

どうぞあなたもこの素晴らしい、イエスの十字架をお受け取りください。心よりお勧めいたします。

 

聖書の中心はこのメッセージです。福音と呼ばれています。

su pena

"Eres precioso y caro."

Biblia          

 

La Palabra de Dios, me gustaría presentar a usted. Desde la perspectiva del Creador, que busca de esta manera, que se llama.

Creador, este sentimiento es, ¿va a esperar que transmite a usted.

Para esto puedo llegar a ti, me dieron una cruz.

La cruz se ha planteado en la iglesia, estoy tales de este motivo.
se guardará nadie. Por supuesto, va a ser salvado.


Somos salvos por la fe en Jesucristo. Usted se debe a que es amado por el Creador. Si en comparación con las personas, en el sentido de los valores de un entorno tan, pero su propia algo malo, pero los seres humanos no pueden, por favor no pensar como. Si alguien va a decir lo que, tú vales mucho a caro.

Creador fue construido para usted, porque usted es lo que ha dicho. De ustedes, basta con mirar un poco de un lado, a la voz de negar que, espero que no se deje engañar. Se centran en que, más allá de la imaginación de la gente, creo que hay una mirada de amor verdadero, no quiero olvidar.

 

La cruz es con Dios (creador) entre usted, la ranura para quitar el (que se pretende que sea el pecado delante del Santo Dios), trae a tu paz con Dios.

Paz que da a Dios

La Biblia se convierte en un sashimi que, el amor es un mensaje del Creador que él viva.

Esta persona se dice. "Las personas que adeudan todas las personas cansadas, agobiadas, vienen a mí. Yo os haré descansar." Biblia

¿No te has llevado?

El cambio y la gran cantidad de sociedad de la información, la relación humana para complicar en que, en este país, una gran cantidad de personas, tanto adultos como niños, creo que estás cansado de verdad?

Aún así, no la vida, la vida imparable, creo que lo que es de su destino que se detenga?

La Biblia, nuestro corazón, nuestra, cuando se mira al personaje creador, hasta ahora, la paz nunca has imaginado, dice que se han preparado.

Sin oscurecer la mente

La gracia de Dios es lo inconmensurable. Hemos recibido, de acuerdo, pero el agua ni el aire sol, todos el don creador. Además, nuestra vida también del don creador. La Biblia no es una teoría de la evolución. El hombre no es un producto de la casualidad. Para aquellos que fueron diseñados hay diseñadores. Diseñador de la gente es un Dios es el Creador.

El hombre natural no conoce el Creador. Debido a que la Biblia que contiene el pecado por el primer hombre, Adán, hasta entonces se había visto, ha sido la enseñanza del Creador ya no es visible.

El pecado se transmite con el Shishisonson ininterrumpida. Por lo tanto, he nacido de la gente no sabe santo Creador.

Podría palabras duras Biblia enseña que "la paga del pecado es muerte.".

Sería salvarse por su cuenta, pero que han proporcionado la salvación para la humanidad no. Es la gracia del Creador. Y es la cruz de Jesucristo.

Para aquellos que no lo hacen elegible para ser, se extendió la vida del Creador, que han asumido el castigo en su lugar. La creación es el amor del Señor. Y la gracia.

神にゆだねる

これは

苦しい時の神頼みではありません。

聖書の神、すべてをお創りになられた、自然を超える超自然の神様に信頼することです。

聖書の神は、愛と正義と恵みにあふれたお方です。

そして、人を愛しておられます。

その神様を自分の本当の唯一の神様であると信じることが、委ねることです。

あなたのすべてをご存知の神が、あなたが思う以上の最善を成し遂げてくださる。

聖書はその信仰で大いなる神様の人の考えをはるかに上回る、御業をを体験した人の証言で満ち溢れています。

人のこころ

聖書は生まれながらの人間は罪をもって生れて来ると教えている。

性善説ではない。

こころは肉と深く結びついている。

こころは肉を喜ばせる事へとありとあらゆる触手をのばす。そして、肉と絡みつく。

肉は悪魔と繋がり、その先にあるのは永遠に苦しむ地獄だ。

主イエスは十字架の死と復活で、こころ➥肉➥悪魔➥地獄の流れを断ち切ってくださった。つまり、人を救うことができるということだ。

こころ➥主イエス➥天国 ということである。

主イエスをこころからの「救ってください」との声とともに信じることである。

イエスは人を救うためにこの世に来られた。~聖書~